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2012年 04月 09日
父を想う
前回から結局続きも書けずもう4月です。
3月後半は仕事が忙しかった…。
時間に追われていると時間貧乏な気がする。
でも充実はしていた。今の仕事は一生形として残る作業の積み重ねだから面白い。

今日家族で水族館に行ってきた。
息子が両親を独り占めできるのも後1ヶ月ほどなので
どうしても家族で水族館に行きたかった。
なぜ水族館かというとニモにはまってから魚が好きで好きで
スーパーの鮮魚コーナーではパック越しに魚にキスしたり
町中の魚の絵に喜んで、保育園でも一日中魚のおもちゃで遊んでいる。
「さかな」という言葉を「ニモ」と言う言葉と間違えているので
魚をみたら全て「ニモね〜ママー」と言っている。
元々魚も食べるのが大好きなのだが今は魚を控えているのでかわいそうだが
買っていない。だから、水族館。

わが家は家族でいわゆる家族の休日足るものを過ごす事は年に2回ほどなのだが
(家族で出かけることはあるけどね。いわゆる遊園地!とか気合い入れていくやつのことね)
第二子が生まれるまではだぶんこれが最後になるだろう。

で、もちろん子供は喜んでいたんだけどそういう話はまぁ親バカネタなので今日は書かないとして
こうやって家族で出かけると私はいつも父の事を考えてしまう。

私の父はというと、とんでもないロクでもない人で、今は、いや、今もどこにいるのかはわからない。
生きているのか、死んでいるのか。わからない。
10歳の時に離婚したのだがまぁその前からいるのかいないのかわからない人だった。
酒はアレルギーで飲めないのだが、酒を飲んでいそうな人で、まぁざっくり言うと中央線にいそうな人だ。

ギャンブルは何でも大好きで、雀荘とパチンコ屋に大概いる。
朝からパチ屋にいて昼はパチンコ屋の隣の純喫茶にいる。
夜は閉店までパチンコを打ちそれから雀荘に朝までいる。その繰り返し。
今みたいにパチンコ屋がアミューズメントパークという売り方をする前は必ずパチンコ屋の隣には
純喫茶があった。私は小さい頃その純喫茶でよく時間を過ごした。
ミックスジュースが好きだった。ミキサーにかけたてで泡立ったミックスジュース。
カウンターに置いてあるパズルゲームも好きだった。
もちろん今みたいに厳しくなかったので父の隣で玉を少しもらいパチ台の前にもよく座った。
今でもパチンコ屋の前を通るとパチンコの鉄が擦れた鉄の匂いとタバコの溜まった臭い匂いが
自動ドアの向こうから感じると懐かしくなって落ち着く。

父はたまに帰ってくるとパチンコ屋の景品落ちのおおきなぬいぐるみやおもちゃ、残り玉のお菓子を
持って帰ってきてくれる。

雀荘でもパチンコ屋でも純喫茶でも父は「竹ちゃん(私の旧姓は竹林)」と呼ばれて親しい友人が
何人かいて私にもよくしてくれた。
だいたい母が夕方くらいに「多分ここいるから呼んできて」と言われ幼い私は一人でパチンコ屋の店内をうろうろしたり、雀荘に入って行ったりして父を捜した。もちろん母の予想が外れていないときもある。
それでも怖くなかったのはだいたい「今日は竹ちゃんいてへんで〜」なんて感じで知らんおっちゃん達が
よくしてくれていたからだと思う。

うちの父は借金癖があり蒸発癖がある。数年に一度サラ金で借金したり会社のお金を盗んでは消えて母が返済していた。数年姿がわからなくなってボヤとか事故とかで警察から電話があって居場所がわかる。
そんな事が離婚までに何度もあった。

パチンコ屋も今でこそ大卒を取るらしいが昔は流れ者の仕事。行楽施設も。
だから父はよく地方の温泉が付いてるような行楽施設に働いている事が多く
そういう所にも友達が多い。よく小さい頃は連れていってもらった。
特に遊園地はよく行った。普段父親らしい事をしていないのでたまに父に会うときは
遊園地か焼き肉か寿司屋だった。父は誇らしげ母はやれやれ、といった感じ。

だいたい帰り際に母は「あんたええ顔してお金をちょっとは家に入れてくれる!?」と怒っている。
「わし今こんだけしかないねん」といってポッケに入っていた1万円以下くらいの一家を養うには小銭過ぎる額を
母に渡す。

父は冗談を常に言ってるような人で器用で頭の回転が速い。悪く言うととてもずる賢い。
しかし今思うと子供を喜ばせる術をモノを与えたり遊園地に連れていくなどしか知らない
家庭を大事にできない不器用な人だ。憎めないけど決して素晴らしい人ではない。
昔母は父を恨んでいると言ったことがある。その頃は私は嘘だと思っていた。
うちの母は世間知らずで天然で女性っぽい女性でいてヤンキーである。そしてモテる。
何だかんだで父が好きだと思っていた。今大人になって子を持って母の気持ちがわかるようになって
あの言葉は大方本音かもしれないと思うようになった。

前置きが長くなったが父はロクでもないが私にはいい父だった。
よく肩車をしてもらった。父の冗談が好きだった。
私には年の離れた弟が二人いるがそんな離婚前の父の記憶があるのは私だけだ。
離婚前のと言ったのは離婚後も弟達が小学生の間くらいは一年に一度くらいは会っていた。
でも焼き肉屋とか寿司屋で少しご飯を食べるくらいのもので養育費をもらってないので必ず
さっきのお金の話を母がしていて弟からしても印象としては「どうしようもない人だな」と言った感じだと思う。

私はロクでもない父だが10歳まで母が粘って離婚しなかったお陰で父性というのものを少しは受けて育ったと思っている。だから反面弟達は少しかわいそうに思うときがある。
男の子にはできれば父親が必要な気がする。と思う事がある。それは弟が20歳になった今も。
女の子はそうでもないが男の子にとって父親は必要だと思うのだ。
もちろんみんな好きで離婚するわけでもないし、死別だってありうる。母だって一人の女性として幸せになる権利がある。つまり母とは大変な仕事だな、と思ったりもする。

息子を見ていても母に対する顔と父に対する顔があって何かこう母には世話もしてくれて甘えられる場所から大事な彼女までの役割を今は背負わされてる気がする。一方父は憧れや絶対性みたいなものを持ってる気がする。

そんなわが家の父親は今日も夜中の3時に帰ってきて陽気にギターを弾いて息子を見ながらニヤニヤと寝てしまった。やれやれと言った顔で私はパソコンをパチパチやっている。子は一日はしゃいでアホみたいに口を開けて寝ている。

そんな一日の遅い終焉に私は父の姿を思い出すのだった。



# by flapper_sisi | 2012-04-09 05:19
2012年 03月 18日
311から 続きの続き
と長々と書いてますがまだ書きます。
瓦礫の事。

今朝、宮城出身の友達から電話があって瓦礫の事について話した。
タイムリーにその電話の前に瓦礫の事に関するツイートで読んだ記事があったのでその事を話したりしたのだが瓦礫に関しては元々私の考えは
このままだと福島を中心に東日本にこれから起こるであろう原発事故由来の病気を国が医療負担しなければならない。だから瓦礫を日本中に平均的に巻く事でわかりにくくさせて医療費の負担という責任から逃れる為の手だてなんだと思ってた。

しかし専門家ではないので実際の瓦礫の量もわからないし、確かに宮城の瓦礫はすごい量だった。
実際、彼女も自分の地元が被災地で復興を願う気持ちがあるので瓦礫の受け入れ反対には複雑な気持ちだという話を打ち明けてくれたのだがわたしの根拠のない推測とは違ってちゃんと数値が出てる記事を見つけたので見てみてほしい。

http://dogdaysdog.seesaa.net/article/255232636.html

この記事にもあるようにやっぱり瓦礫の受け入れには反対すべきだし、
最近沖縄にまで瓦礫の受け入れ検討の市町村があることを記事で見たのだが
どう考えてもお金でしょ?東京が瓦礫の受け入れをとわけが違う。
普通に純粋に考えても運ぶのだってリスクだし、なぜ沖縄に? である。

その運搬費なんかを復興に回す方がいいでしょ。
なんか色々歪んでるな、と思ってしまう。

もうねーー日本歪んでるよ。

それって被災地の事を考えてでも何でもない。
原発事故による負担を少しでも背負いたくない国と
少しでもお金が入るならと瓦礫にすがりつく地方自治体と

被災地や未来の子供達の事は何も考えてない。
うまいこと国民をだましコントロールするには。

そういうことしか考えられてない。
瓦礫の事を思うと本当に東京を出てもどこに行けばいいのかわからない。
こんな頻繁に地震が起きているのに原発をなぜ止めようと思わないのか。
今ほとんどの原発は動いていない。
だけどわが家の電気は普通に今日も来ている。
東京は普通にキラキラしている。
これでも原発ないとダメなのか。

小さい頃と違って夜は深く怖いものじゃなくなった。
夜はまっくらでいいんだよ。
原発止めらんないから夜も電気消費しなきゃいけない。

ごまかされてはいけない。
瓦礫のバラまきもも反対!原発も反対!だよ。

続きはのちほど。

# by flapper_sisi | 2012-03-18 15:50
2012年 03月 18日
311から 続き
爪のミネラル検査を受けた。
旦那のブログで先に書かれていたので見た人もいるだろうし
会って色々話を聞かれるのでもう知ってる人もいるかもしれないけど
すぐに書こうと思ったんだけどなかなか忙しくて…

検査したのは年末なのでそのだいたい4ヶ月前の体内から排出されたミネラルの中に
何が含まれているのかを検査するもので旦那のブログで少し間違いがあって途中訂正してもらったのだが
これは内部被曝を測るものではない。ということ。
あくまでも目安を知る為のものということ。

私がこの検査をしようと思ったきっかけのまず一つ目は食品に気をつけたりする生活していてもこれで結局
どのくらい防げているのかという目安が一つもないままだと気のつけ方の度合いがわからないから。
もう一つはネットでこの同一検査を受けた方が都内在住でマスクをいつもつけてて三重県より西の食材しか
食べてないのにウラニウムが検出された!という記事を読んだから。
わが家は長野より西のものを食べると決めていてこれは私が勝手に設けた基準だから何の根拠もないのだけど三重県より西! と思って私も検査をしようと思ったのだ。

いざ検査をしようと思った時にどの検査をしようと悩んだのだが尿検査は(勝手な想像だが)前日の食べた物の影響がもろに出そうだと思ったのと、ホールボディカウンターはまず場所がわからんのと中性子やアルファ線はわからないという事を知り同じ爪のミネラル検査を受けようと思ったのです。

この検査をやってくれている辻クリニックの院長先生のfacebookも興味深い内容や共感できる事が多かったのと同じ検査の結果色んな所で目にするので比較がしやすいと思ったのです。

で、前置きはいいとして結果はセシウムは不検出だったのだがウラニウムは0.01検出された。

0.01という値は以前から稀にだが検出されることがあるので一応基準値内ということになっている。
しかし、ウラニウムは全て放射性物質だという事、基準値は安全値ではないということ、実際体内には「ある」
という事以外どのくらいあるかはわからないという事からその結果がよかったと見るのか悪かったと見るかは
その人次第だと思うが、私は正直一個前のブログにも書いたようにまた迷ってしまった。
結果的にはもう一度検査をしてみようと思っている。
蓄積率や排出についてもわかるし検査受けた頃と違って今は給食も全部お弁当に変えている。
それがどのくらい変わるものなのか。結果が出たらまたここでお知らせしようと思う。

本当に純粋に子供の事だけを考えて避難ではなく引っ越しを決断しなかったのが
母親として失格だな、、と正直思っている。
だけど東京に戻って来たからには自分のできる最大限の悪あがきをして被曝を減らす努力をして
生活するしかない。と思っているのも事実で、次回検査をしてその結果でまた考えようと思っています。

と、赤裸裸に気持ちを書きましたが、実際東京に戻って来て感じるのが
脱原発は叫べても放射能への不安についてはやはり口にできないという空気を感じます。
だから母親一人一人が本当の気持ちを言えないままだと家族や地域、国をダメにしてしまう。

私も極力、放射能に対する恐怖を口にするようにしてる。
それで一人でも多くのお母さんが本当は不安だという事を言えるように願っています。
検査結果も明らかにすることで少しでも内部被曝を気をつけるお母さんが増える事も願っています。



# by flapper_sisi | 2012-03-18 15:22
2012年 03月 18日
311から
久しぶりです。書きたい事はたくさんあるんだけどなかなか更新できず…。
でも昨日、今日で書かないとなぁーなんて思って書きます。

311から一年たった事、
爪のミネラル検査の結果をうけてのこと
瓦礫受け入れに関しての事
これからの事…。
色々書きたい事はありゆっくりですが書きます。

まず311から一年経った事。
あっという間だったけど長かった。
とても濃い一年だった。
でも何も終わってないし、単純に365日経っただけで367日目に昔の事になるほど
甘くない。むしろこれからがもっともっと怖いとすら思う。
関心が薄まり正確な情報も隠しやすくなる。
原発以外の事でもわかるように国民に不利な取りきめは知らないうちに決められて行く。
それが今後もっとひどくなるだろう。

自分の生活に置いても今まで以上に危機感を持って生活しないと内部被曝はどんどん進んでいく。
東京に戻って半年。今も東京から離れたいと思っている。
子供がかわいければかわいいほど東京を出たいと思う。
その歯止めをかけているのはやっぱり子供がとーちゃん大好きという事。
避難中とーちゃんに会いたくてとーちゃん、とーちゃん泣いてご飯も食べなくて夜もうなされてた
姿を思うと私の放射能からの不安は軽減されても子供のストレスは増える事を思ってしまう。

では家族で東京を出ればいい、と簡単な話のように思うが旦那がここで音楽をやっていく事を
奪う事も旦那の事を思うとできずにいる。もちろん私自身もこの問題がなければ東京が大好きだ。
気持ちはわかる。

それだけじゃない。内部被曝を思い311からずっと最大限自分ができる範囲気をつけてきた。
そのためわが家の食費はありえないほど値上がりをして本当に本当に苦しい。
後に書くが先日、爪のミネラル検査をしたのだがこれだけ気をつけても少しウラニウムが検出されてしまった。
しかし、同じ検査を大阪の方がしたところわが家よりも桁違いの結果が出ている事を知り
ここから離れても今と同じように食品への注意は変わらないという事は食費の負担額もさほど変わらないのかもしれない、と思うと正直金銭的な意味で東京を出れなくなってしまったのだ。

避難でかなりお金を使ってしまった事もあるし、これも後で書くが今お腹に子供もいる。
今働けてもこれから一年ほど働けなくなってしまうと収入がほとんど無くなってしまう。
その生活の中で今と同じように食品に気をつけてあげれるのか、というのが大きな歯止めになってしまい
東京にいる。

私はいつまでここにいるのだろうか。

とここまで書いて毎日ストレスを抱えているように感じるかもしれないが実はそうでもない。
(内心は気づかずストレスかもしれないが)食品を選ぶ事も洗濯を太陽に当てて干せない事も
もう板についてしまった「当たり前」の事になってしまった。

これから何年と汚染は続いて行く。
当たり前のように食品を選び、当たり前のように被曝を減らす為の料理をする。
これをストレスに感じるのでは先へ進めない。
もうそれが当たり前で今までと世界は変わってしまったのだ。
以前のような生活はもう戻らない事なのだ。
それが一見何も変わってないように見える毎日のなかで忘れられていることだけど
忘れてはいけないことなのだ。と思う。


# by flapper_sisi | 2012-03-18 14:46
2011年 12月 05日
お久しぶりです。おしらせなどを
ブログ書くの久しぶりです。
ちょっと書けない事情があって、まだそれは継続中なんですけども
それはそれでまたお知らせします。

今日は別のお知らせです。(後にプチ日記あり)
===================================
明後日、火曜日の6日高円寺なんとかBARでさっちゃん(KORAKORA ex花フェノ)と
一日店長しまーす!!
何気に一度やってみたかった一日店長☆
なんとかBARならなんかハードル低いよね(?!)

というわけで19時くらいには空いてると思うので
ぜひ来てくださいね〜

場所は高円寺北口を出てマクドナルドの方に行くと中通り商店街が見えるので
中通り商店街をまっすぐ。ひさすらまっすぐ。
左手にキタコレビルがあるのでその手前を左に。
そしたらすぐ右手がなんとかBARです。
わからなければご連絡くだされ〜。
来るのはタダだよ!お気軽に〜♪
=======================================
そういえば少し前の事になりますが友達から『はだしのゲン』を全部借りる事ができまして

読みました。
はだしのゲンといえば小学校の時に図書室で少し読んだ事があるのですが
ゲンがいじめにあってるシーンは強烈に覚えているのだけれど、何せ人気で続きがスムーズに
読めないため全部読んだ事はなかったんです。

もしもあの頃、通しで読めていたらどう感じていたかは今となってはわかりませんが
今大人になって、はだしのゲンを読む事ができたのは本当によかったと思っています。

はだしのゲンと言えば、暗い、怖い、読みたくないと言われますが
逆に父の生き方にまず感動しました。あんな立派な父親はこの時代にいるんだろうか。
母の強さにも同じ母として考えさせられるものがあり、何よりゲンや仲間達の強く生きて行く
姿に何度も涙無しには読めませんでした。本当に素晴らしいものを残してくれた、と感謝するばかりです。
学ぶ所が多すぎる。

そして原爆投下後の広島の姿はもっと知らなきゃいけない。
それに日本政府の行動、人間の心模様、すべて戦後65年経った今も
何も変わっていないのではないかとさえ思ってしまいます。

放射能の恐ろしさ、広島原爆の1000倍くらいの放射能が福島、東日本には降り注いでしまった。
広島、長崎、第五福竜丸、世界中の水爆実験、チェルノブイリ、スリーマイル。
何も学んでいない。どうしてどこまで言っても一部の金儲けの為に世の中が動いてしまうのか。
悔しくてしかたない。だけどゲンのようにたくましく生きて行かなければいけない。
良い子ちゃんじゃダメなんだよ。NOって言わなきゃ。世の中で決められた悪い事よりもっと悪い事が
平気でまかり通っている。もっと真実を見つめなきゃ。国は私たちを守る気なんてもともとない。

ではみなさんおやすみなさい。

# by flapper_sisi | 2011-12-05 01:32


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